想いが伝わる教育とは

想いが伝わる教育とは

愛したいのに、愛せない
ー 被害者と加害者の両方を体験してー

テレビや新聞では、いじめや虐待など、子どもたちの存在そのものを否定するような事象が社会問題として扱われています。 それに対し、いじめ対策基本法、虐待防止法など国を挙げた対策が進むと同時に、より身近なところでは “いじめホットライン” や “虐待ホットライン” など民間レベルの救済活動もさかんです。 しかし、それによっていじめや虐待が減少しているかといえば、逆に表面化しない形で陰湿化していると言わざるを得ません。

このような報道に触れるたび、誰もが心を痛めておられることと思います。「せめて自分の子どもはそんなひどい目に遭いませんように」 ─ 子どもを持つ親の立場からすればそう願うのは当然です。そして、学校の現場では対処しても繰り返される現状に疲れ果て、心を病んでしまう教育者も増えています。 私がいじめや虐待をテーマに講演活動に携わるようになったのは、娘がいじめの被害者として苦しい体験をしたこと、そして私自身が父親による虐待の被害者であったのと同時に、のちに息子に対する虐待の加害者にもなり、双方向の悲惨な思いを知ったことが理由です。

世間ではいじめや虐待を受けた子どもを憐れむ一方で、加害者の子供たちに厳しい目を向けます。 実際に被害者となった方々、ご家族の立場からすれば、このような行為は決して許されざることであり、適切な対応が必要であることはいうまでもありません。 しかし、本当の意味で悲劇を終わらせるために、私はあえて言わせていただきたいのです ─いじめている子供も、いじめられている子供も、どちらも被害者だと。 自分を愛したくても愛せない悲劇のなかで苦しんでいるのだと。

では、虐待についてはどうでしょうか。
「なぜ、わが子を愛すことができないんだ!」そんなふうに虐待をする母親を非難する方もいらっしゃるかも知れません。 しかし、私はこう思うのです ─親が子供に暴力をふるうことは、ものすごく悲しいこと。 でも、子どもを殺してしまう母親の気持ちがわからないこともないと。 そして、そのお母さんは、苦しみながらも精いっぱい頑張ったんだろうな…そんな気持ちがあふれてくるのです。 わが子を愛したくても愛せない ─どちらも被害者であるという悲しさを感じずにはいられません。

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すべての人間は矛盾をもって生まれてくる
「皆さんは “自分” というものがどのようにしてできているか、知っていますか?」─小・中学生に向けた講演会ではこんな質問の投げかけから始めます。 そして、いろんな答えをいただいてから最後に私が答えを言います。「皆さんは誰しも、お父さんとお母さんからできているんですよ。」 大人からすれば当然のことかも知れません。しかし、子どもたちはこの答えを聞くと、「えーっ!本当だ!」と驚いてくれます。 この世の秘密を手に入れたかのように驚く子どもたちを見るたび、私は彼らの素直さに感動します。 その素直さこそが、これからお伝えする“自分自身との関係性” を紐解くために欠かせないことだからです。

父と母から生まれ、男と女という2極を同時にもつ私たちが、ひとりの男性または女性として生きているという矛盾。 そこに本当の意味で自分を愛すことができない人間の本質が隠されています。 自分を愛せない─自己否定について子どもたちに伝えるとき、“長所と短所” という2極を例にします。
私たちはこれまで、長所を伸ばして短所を減らすように教えられてきました。 しかし、それは「半分の自分を嫌って生きなさい」ということにほかなりません。 大人にそう言われた子どもは素直に自分の悪いところを直そう、良くなろうとします。 その結果、私たちは誰しも、自分をまるごと愛すという体験を知らないまま大きくなってきたのです。

講演会では、片方の面に “長所”、もう片方の面に “短所” と書いた1枚の紙を子どもたちに見せ、裏と表を交互にひっくり返しながらこう伝えます。 「短所を消そうとすると長所も消えてしまう。長所を伸ばそうとすると短所も大きくなるよね。 あるときは短所に見え、あるときは長所に見える。 でも、同じ1枚の紙であることに違いないでしょう?」すると、彼らは目を丸くしてこう言います。 「今まで悩んでいたことは何だったんだろう!」 重要なのは、長所と短所の両方があってもいいということではありません。 長所にしても短所にしても、もともとそんなものはなかったということなのです。 長所も短所もない。良くも悪くもない。つまり、生まれてきたそのままの自分 ─“あるがまま” としての自分自身の存在があるだけです。

子どもたちの凄いところは、このまったく新しい視点をその場で体験してしまうところです。 この完全な存在として生まれてきた “あるがまま”を受け取ったとき、 子どもたちは初めて自らの可能性を受け入れ、生まれながらにして持っている真の創造性を思い出します。 こうして“自分自身との関係性” の落とし穴から解放された子どもたちは、部分ではなく全体性で自分を愛せるようになるということです。

 私がお伝えしている新しい認識方式では「目の前の相手が無意識の自分を映し出す」という仕組みをもとにして、 他者との関係性を通して “自分自身との関係性”を理解します。

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